イヌタデの花言葉「あなたの役に立ちたい」
子どもから大人まで幅広い年代に愛され続けている絵本「100万回生きたねこ」
解釈が人それぞれ違うことでも有名な絵本でよね。
「100万回生きたねこ」の最後のページって覚えてますか?
ねこは登場していないんです。
ねこは もう、けっして生きかえりませんでした
『100万回生きたねこ』p30
この文の横に描かれた絵は広がる原っぱ、遠くに立つ建物。そして絵の真ん中に空に伸びて行くように描かれるピンク色の花をつけた雑草。
このピンク色の花の雑草、前のページ、白いねこを抱きかかえて泣いているねこの横にも描かれているのですが、見比べるとほんの少し成長しているんですよね。
今回はこのピンク色の花の雑草に意味はあるのか。
わたくしmomonoの個人的な解釈と簡単なあらすじ、絵本の紹介をします。
「100万回生きたねこ」の最後は何を伝えたかったの?簡単なあらすじ
書名 | 100万回生きたねこ | |
作・絵 | 佐野 洋子 | |
出版社 | 株式会社 講談社 | |
発行日 | 1977年10月20日 |
「100万回生きたねこ」の簡単なあらすじ
100万回しんで生きたねこは、100万人の飼い主に可愛がられたがねこは飼い主たちがきらいだった。
のらねこになれたときもたくさんの雌ねこから好意を持たれたが、だれよりも自分が好きだった。
ねこは自分を見向きもしない白いねこに出会い夢中になりこどもをつくり、過ごす時間の中で白いねこと小猫たちを自分よりすきになった。白いねこが死にはじめてねこは泣いた。
100万回泣いたねこはしろいねこのとなりでうごかなくなり、生きかえらなかった。
「100万回生きたねこ」ものすごく簡単なあらすじ
100万回の輪廻転生を繰り返したねこははじめて自分より好きな白いねことの時間を過ごし、白いねこのとなりで死んだあと生き返ることはなかった。
「100万回生きたねこ」と作者の話
めずらしくよく売れた絵本
作者の佐野洋子さんは自身のエッセイ『私はそうは思わない(筑摩書房)』の中で「100万回生きたねこ」についてつぎのように書いています。
一匹の猫が一匹のめす猫にめぐり逢い子を産みやがて死ぬというただそれだけの物語だった。『100万回生きたねこ』というただそれだけの物語が、私の絵本の中ではめずらしくよく売れた絵本であったことは、人間がただそれだけのことを素朴にのぞんでいるということなのかと思わされ、何より私がただそれだけのことを願っていることの表れだったような気がする。
『私はそうは思わない(筑摩書房)』
一生懸命生きているといつのまにか人生が複雑になっていたりしますよね。
この絵本が大人に人気なのは、複雑になってしまった人生の中で「自分のシンプルな望み」を気づかせてくれるからかもしれません。
ピンク色の花の雑草の正体は?
ピンクの雑草、Googleレンズで調べてみると「たで/Polygonum」と出てきました。
「たで」とは「蓼」のことで「蓼食う虫も好き好き」のことわざの「たで」です。
「たで」について調べてみると、タデ科の植物も何種類かあって、この絵は「イヌタデ」か「オオケダテ」ではないかというのがわたしの推測です。
最後のひとつ前のページ 「たで」は6つの花をつけている
動かなくなった白いねこを抱きかかえて口を開けて泣き叫ぶねこの絵。その右側に「たで」が描かれています。
このページの「たで」は6つの花をつけています。
最後のページ たでは8つの花をつけている
最後のページ、ねこは登場しません。
ねこは もう、けっして生きかえりませんでした
『100万回生きたねこ』p30
の横に描かれた絵は広がる原っぱ、遠くに立つ建物。そして絵の真ん中に空に伸びて行くように描かれるピンク色の花をつけた「たで」。
この場面ではほんの少しの時間経過を現すように、「たで」の横に咲く「女郎花」の花がひとつだけ減っています。
そして、「たで」の茎の部分もすこしだけ成長していて、ピンク色の花が2つ増え8つになっています。
momonoの個人的な解釈
名作と呼ばれるものは最後読み手にゆだねるものや考えさせるものが多いですよね。
今回はわたくしmomonoが最後の絵に登場する「たで」に注目して感想を述べたいと思います。
2匹のねこが死んだあと2つ増えた「たで」の花
わたしは2匹のねこがこの「たで」養分として吸収されて一緒に「たで」の花に生まれ変わったのかなと思いました。
物語の中盤でねこは白いねこに「そばに いても いいかい。」とプロポーズします。(この場面でもちいさな「たで」がさりげなく描かれています。)
最初、ストーリーを読んで、ねこが生き返らなかったのは「死んでもそばにいたい大切な存在」に出会えたからと解釈をしました。
しかし、最後のページをよく見ているとなんとなく「たで」に注目するような絵の描き方だなと思い、「たで」に注目して読み返してみました。
そうすると、ねこがねことして生き返らなかったのは「生まれ変わってもそばにいたい存在」に出会えたからじゃないかなとわたしは思いました。
「たで」は人間の役に立たない花
「蓼食う虫も好き好き」と有名なことわざがありますが、「たで」は人間にとっては利用できない役にたたない花です。
ねこは100万回の輪廻転生のうちさいごの1回をのぞいてすべて「人間のねこ」でした。
「100万回の人がかわいがり、100万人の人がそのねこがしんだときなきました。」と書かれているので、ねこは人に必要とされた存在だったと解釈することができます。
深読みしすぎですが、仮に「たで」に生まれ変わったとしたら、人間にとっては利用できない雑草ですので皮肉じみたものを感じますね。
最後のページ「たで」は野に咲く花が風にそよいでいるように描かれています。
人と結びつかない「のらねこ」と「雑草」。自由に生きる象徴のように感じますね。
イヌタデの花言葉「あなたの役に立ちたい」
「100万回生きたねこ」の最後に描かれたピンク色の花の雑草。調べた結果、この絵は「イヌタデ」か「オオケダテ」ではないかというのがわたしの推測です。
どちらかと断定はできないのですが、「イヌタデ」の花言葉を調べると「あなたの役に立ちたい」でした。
100万年もの間、自分だけが好きだったねこが自分より好きな存在に出会い死ぬことができた。
本当に好きな人に出会うとその人の役に立ちたいと思いますよね。
まとめ
今回は「100万回生きたねこ」の最後はなにを伝えたかったのか。最後のページに描かれた「たで」に注目して個人的に解釈してみました。
momonoは「2匹一緒にたでに生まれ変わった」と解釈したのですが、みなさんはどう思いますか?
作者の佐野洋子さんが「ただそれだけの物語」と言ったように、シンプルなメッセージだからこそ、たくさんの読み方ができる絵本なのだと思います。
「100万回生きたねこ」は読み手の経験やその時の心境で解釈の変わる自由に読める絵本だと思います。
この記事を読んで興味を持った方はぜひ「100万回生きたねこ」を読んでみてください。
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